|
|
|
 |
|
 |
|
 |
|
 |
|
兵隊検査に合格した歳男は、中国・遼東半島の先端にある旅順港の重砲隊で、大正12年12月から2年間、兵役生活を送った。判断力、実行力ともに抜群だった歳男は、軍隊でもすぐに頭角を現し、昇進は中隊でいつもトップ。精勤賞、優等記章、表彰休暇などの表彰もたびたび受けた。兵役が終わる頃、上官から「どうだ、井植上等兵。おまえは頭もええし、体もええ。軍人になれば、きっと出世できる」と職業軍人になることをすすめられた。熱心な誘いだったが、歳男はカドが立たないように上手に断った。
「私は長男でありまして、老母や弟妹の面倒をみる義務があるのであります。……それに、義兄の会社も私の帰りを待ってくれているのであります」と。自由にモノを創り、自由に商売をすることに大きな夢を持っていたからである。
恋もした。旅順の繁華街に近い小さなタバコ屋の看板娘。その娘は「旅順小町」と噂される色白の美人で、多くの兵士や下士官、将校があこがれていた。普通のやり方ではむずかしいと考えた歳男は、タバコ屋を営む父親に電器店を始める提案をすることで、娘に近づこうと思いついた。「将を射んと欲するものは、まず馬を射よ」の諺を実践したわけである。ことはうまく運んだ。娘の父親は電気器具を店で売るようになり、経営指導を買って出た歳男は、娘の家に堂々と出入りするようになる。店の商品は、電球、コードから始まって、やがて乾電池、自転車ランプ、扇風機と増え、松下電器の小売店らしくなってきた。
父親の信頼を十分に得たころ、歳男は、自分の思いを打ち明けるが、結局、その恋は実らなかった。父親も娘も異存はなかったが、ひとり娘だったことが障害になったのである。「養子になって旅順で暮らしてもらえるのなら喜んで…」の父親の言葉で、人生の岐路に立った歳男は、断腸の思いであきらめた。日本に帰って、存分に仕事をするという将来の夢と野心を捨てられなかったのである。
兵役を勤めあげて満期除隊した歳男は帰国した。旅順には青春のほろ苦い思い出とともに自分が育てた小売店が残った。
それから70数年後(現在)、旅順に近い大連市が、三洋電機グループの中国における重要拠点となって7つの合弁会社があるという状況を、当時の歳男は、夢想だにしなかったであろう。 |

|
|